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175件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2011-07-14 第177回国会 参議院 東日本大震災復興特別委員会 第9号

圏内の避難者ももちろんでございますが、チェルノブイリ事故の際、旧ソビエト政府でさえ汚染度に基づいて地域を三区分に分け、この裏側ですね、この資料の、こういう形でセシウム汚染区分分けと対応ということで分けております。そして、ここに書いておりますように百八十五キロベクレル平米を超える地域からの避難希望者には経済的補償をしました。

吉田忠智

2006-08-29 第164回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第6号

また、その後に言われました、同じく、ソビエト政府は、日本国政府見解を了承して、両国間の正常な外交関係が再開された後、領土問題ということに関して同意することを言明する、これも同じく当時のソ連邦のグロムイコ第一外務次官との間でこのような書簡が交わされているのは事実でありまして、私どもはそういった前提に基づいて、両国間においてきちんとした、双方納得ができる形での問題の解決というのが第一ということになって

麻生太郎

2003-02-12 第156回国会 衆議院 予算委員会 第9号

私たち戦後生まれ、それも私は七一年に生まれたものですから、そこで最後にお聞きしたいんですけれども、普通に感覚的に考えると、我が国民ソビエト政府に持っていた請求権、これを日ソ共同宣言で放棄することになった、そうすると、国民はそのソビエトに対する請求を今度は日本政府にできるように立法化しないといけないのではないか、そう考えるのが法理的にも普通の考え方だと思うんですが、この件に関してはどのようにお考えになって

中村哲治

1992-05-06 第123回国会 衆議院 外務委員会 第9号

しかしながら、渡辺外務大臣が申されましたことは、当時、北方領土問題は存在しないという、以前のかたいソビエト、当時はソビエト政府立場でございましたけれども立場の中で何か解決の糸口を見つけたいということからこういう案を考え出された、そのお志、方向というものは評価できるという議論をしてきたわけでございます。

兵藤長雄

1992-04-22 第123回国会 衆議院 外務委員会 第7号

しかしながら、あの六〇年安保の改定のときに出されましたあの覚書というものは、御承知のとおり日米安保条約を否定し、アメリカ軍の基地が日本にあるということを否定するという立場から出されたものでございますけれども、その後いろいろな情勢の変化の中で、ゴルバチョフ大統領が昨年訪日される前でございましたけれども、既に当時のソビエト政府日米安保条約というものを容認するという立場変化をしているわけでございます。

兵藤長雄

1992-04-16 第123回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第6号

昨年既にロシア連邦政府が、旧ソビエト政府時代もそうでございますが、一定の削減をしつつあるという表現を使ったことはございます。そのときから具体的に一体どのくらい、どういうふうに削減されたのかということを聞いていたわけでございますが、今回コズィレフ外務大臣から、一万人の規模の師団を七千人に削減をして旅団規模になったという御説明がございました。

兵藤長雄

1992-04-10 第123回国会 衆議院 外務委員会 第5号

兵藤政府委員 日ソ、今では日ロの漁業と北方領土問題との関連でございますけれども先生御記憶のとおり二百海里時代に入りましたときに当時のソビエト政府が一方的に二百海里を宣言し、その中に北方四島を組み入れたということがございまして、いわゆる大変な二百海里日ソ交渉が始まったわけでございます。

兵藤長雄

1991-12-04 第122回国会 衆議院 法務委員会 第2号

私らは再三社会主義国を訪問いたしまして、中国の少数民族政策とか、あるいはソビエトはもう少数民族対立はないというようなことを言っておりましたけれども、行くたびにソビエト政府に対して少数民族政策の現地を見たいということを申し入れて、その片りんぐらいは見させてもらっておりましたけれども、今非常に大きな動きとなっておるのはそういう民族間の対立というか民族間の差別の問題でしょう。

小森龍邦

1991-04-25 第120回国会 衆議院 物価問題等に関する特別委員会 第6号

越智国務大臣 まず、ソ連との関係でございますが、共同声明のほかに、たしか十五本でございますか協定を結びました中に、私ども関係いたしておりますのは、長いせりふでございますが、ソビエト社会主義共和国連邦における市場経済への移行のための改革に対する技術的支援に係る協力に関する日本国政府ソビエト政府との間の協定、この分でございまして、これは経済計画のつくり方とかいろいろなことをお教えしましょう、そのために

越智通雄

1990-09-07 第118回国会 衆議院 外務委員会 第13号

シェワルナゼ外務大臣との会談におきまして、ソビエト政府がイラクに対して国連決議に従って積極的に行動するように私は要請をいたしましたし、また、九日に予定されている米ソ首脳会談の結果につきましてもソ連政府からいも早い連絡をちょうだいしたいということを申しております。いずれにいたしましても、御案内のように外交努力が当面最も緊要なことであらうと私は思います。

中山太郎

1990-06-21 第118回国会 衆議院 農林水産委員会 第16号

最近の報道では、ソビエト日本大使館に対してソビエト政府よりこの件の連絡があったようにも報ぜられております。しかしながらその後においてはまた二転三転しておるようでございますけれども、まず最初に、現在時点でどのような状況にあるのか、外務省にお伺いをいたしたいと思います。     〔大原委員長代理退席穂積委員長代理着席

鉢呂吉雄

1990-06-06 第118回国会 参議院 予算委員会 第19号

ただ、各艦によりまして、それぞれ就役いたしましてから艦齢が何年たっているか、そういうような点はある程度の把握はいたしておりますけれども、それをソビエトといたしましていつの時点で廃艦するか、除籍するかというような点につきましては、ソビエト政府方針等につきましては、私どもはまだ定かに読み取れないところでございます。

日吉章

1990-04-18 第118回国会 衆議院 外務委員会 第3号

中山国務大臣 さきの当委員会においてもリトアこァ問題について御意見を申し上げておきましたが、このリトアニア政府といいますかリトアニア関係、バルト三国の平和的な解決、これについて日本政府としては、ソビエト政府との間に円満な話し合いが進むことを期待しているということを御答弁申し上げておりますけれども、現在もその考え方に変わりはございません。

中山太郎

1990-04-09 第118回国会 衆議院 予算委員会 第6号

日ソ関係も、かつての鳩山首相が行かれたときと今日とでは、もうソビエト体制自身に大きな変化が出てきておりまして、私どもは昨年結ばれました日ソ平和条約作業グループ、この先生御指摘の五つの課題、これも推進をいたしておりますし、また安倍元自民党幹事長の訪ソによる、提案された八項目についてもソビエト政府は高い評価をいたしておるわけでございますから、来年のゴルバチョフ大統領の来日に対する私ども一つの大きな

中山太郎

1990-03-27 第118回国会 衆議院 内閣委員会 第2号

そういう中で、現在、領土問題に関しましてソビエト国内において、学者方々あるいは一部政治家方々の中にもこの領土問題に対する御意見がいろいろと出ておることも私は承知をいたしておりますが、ソビエト政府考え方としては、全然以前と考え方がまだ変わっていないというふうに私は認識をいたしております。

中山太郎

1989-11-10 第116回国会 衆議院 外務委員会 第2号

そういう意味で、今日非常にソビエト政府政治というものが、この新しい改革路線というものあるいはグラスノスチ、ペレストロイカを進めていくという姿勢が相当前へ向いてきたことは事実でございますけれども、問題はこの新しい方向について権力を失うグループ、こういうものが現実に存在することも否定できない問題だろうと思います。

中山太郎

1989-11-09 第116回国会 参議院 外務委員会 第1号

ただし、これからヤコブレフさんが日本に来られてどういうふうなお話をされるのか、これはまだお目にかかってみないとわからないことでございますし、北方領土日本に返るときにどうするかというような問題は、ソビエト政府が返還の意思を出されるという時点からの日ソ政府間のいろいろな話というものがその時点から始まるのであろうと。

中山太郎

1989-11-09 第116回国会 参議院 外務委員会 第1号

これからソビエト政府からヤコブレフ団長がすぐお越しになりますけれども米ソ間のような軍事力を背景にした対話ではありませんけれども、我々は我々で日ソ間のこれからの対話というものをどういうふうにやっていくのか、それはやっぱりヤコブレフさんのお越しになるこの機会が大きな一つの舞台を構成するのではないかというふうに思って、実はお目にかかることを大変期待いたしておるわけであります。

中山太郎